
不名誉な地として世界に知られたFUKUSHIMAをポジティブな言葉に変えていく決意を持って、音楽家の遠藤ミチロウ、大友良英、詩人の和合亮一の3人が代表となり、音楽を中心としたフェスティバルが開催された。映画はフェスティバルの前後7ヶ月を追ったドキュメンタリーとなっている。解決の見通しの立たない原子力発電所を抱える福島で、野外フェスティバルを実施することが倫理的に許されているのだろうか?芸術家たちは悩む。

未だに時間の軸がねじ曲がり、現在の事が書けない。自分が今いる美学的な位置を簡素に告知するだけのノートのはずなのであるが、それがまだ出来ない。震災以降、複数の時間と空間の中でカメラを回し、複数の対象と関係性に向けて編集し、複数の状況と局面でそれらは観られ、新しい事態へむけて不可逆的に動いているのだが、まだ何かが止まったままだ。それが、被災地での経験を何も語らないでいるからだという事は分かっている。

大惨事や事故は、隠されたものを、発見するという意味で一つの発明である(ポール・ヴィリリオ)。被災地となった東北は、戦中と戦後の東京市場の膨張、食糧増産政策によって、熱帯原産である米が移植され「米どころ」として書き換えられている。コメが減反に転じ、過疎化が進んだ高度成長期末期には、原発と交付金が誘致され、東北は電力供給地として開拓されるようになったと言われる…

ソーシャル・メディアが発達し、私たちそれぞれが受け手であり送り手でもあるような状況のなかで、アートにまつわる諸問題を共有し、前提とすることができるような情報を伝達する枠組み=プラットフォームとはいかなるものか。今回のラウンドテーブルでは、さまざまな立場でアートに関わっている方々をゲストに招き、現状のアート・ジャーナリズムやメディアの問題、その未来(展望)について広く話し合います。

本の音読と映像撮影を組み合わせたワークショップです。フランコ・ベラルディ(ビフォ)『プレカリアートの詩——記号資本主義の精神病理学』(河出書房新社)第四章「今日オートノミーとはなんであるか?」の音読を行いながら、その様子を映像に記録していきます。
映像ワークショップ:藤井光(美術作家)
読書会メディエーター:櫻田和也(翻訳者)

身体、精神、欲望に深刻な影響を与える強いメディアの言説を弱める個人の力が、エレクトロニクス技術の進展と共に増大していることは確かなようだ。与えられた情報を一方向的に受け入れるのではなく、一次情報に直接アクセスし、多くの人々の議論と精査を通過させ、その集合知を自分たちのメディアで公開する。今年、国内外のアートシーンで公共圏の問題がクローズアップされたのも、この集合知の生成における社会構造の変化に…

美術作家の小山田徹と藤井光が1000m2以上ある空間を使ったインスタレーションを協働で発表します。小山田徹は、世界的に評価の高いパフォーマン スグループ「ダムタイプ」での活動の後、バザールやカフェなどコミュニティのための共有空間の設計・開発を先駆的に行っています。藤井光は、映像メディアを用いながら、資本主義社会の歪みなど現代社会の問題点を深く切り取る表現活動を行っています。

東京スカイツリーの足下で進行するジェントリフィケーション。墨田区は、路上生活を強いられる不安定労働者の生命線である空き缶拾いに罰金20万を課す条例を10月1日に施行した。そして、観光都市として再生を計る墨田地区は、そのアーキテクトの道具として、今後さまざまなアートプロジェクトを象徴資本を利用する企業と設計し、「持たざる者たち」と同様に、多くのクリエイティヴ・レイバー(芸術労働者)を投入し、使い捨てて…

芸術関係者 各位
芸術の労働問題。このアポリアを私たちの切実な問題として脱構築するアクション+映像制作にご参加ください。アーティストやアートプロデューサー、 アートNPO、技術者など断続的に雇用されるクリエイティヴ・レイバー(芸術労働者)が、アサヒビール本社の地下駐車場に数十基のテントを張り、芸術と労働に関する新しい概念/声をあげていきます。

remoscopeとは、remoが考案したリュミエール・ルールに則り撮影された映像を総称する造語です。このワークショップでは、特別な技術はまったく必要ありません。初心者、経験者を問わず「作品」をつくることができ、それぞれの作品を参加者とともに鑑賞し楽しみます。なにげない風景がさまざまな視点で切り取られ、異化されていくその静かな驚きを味わう…そんな“句会”のようなワークショップです。

いま価値があるとされるものが次の瞬間ゴミになり価値を失う廃棄物処理場と化した東京で、芸術活動を続ける私たち芸術関係者の「狂気」と、私たちクリエイティヴ・レイバー(芸術労働者:アーティスト、キュレーター、アートプロデューサー、コーディネーター、アートNPO、技術者)の社会的・経済的「狂気」を可視化することに連帯ください。この作品は、芸術生産に関わるすべての人々の「現場」に対する無限無数の批評言語…

電車に乗って宮下公園までみんなで行ってみる。公園ではアーティストのいちむらみさこさんと待ち合わせ。彼女と一緒に公園を散歩してみる。すると、地域やコミュニティとかメディアだとかアートだとか話しているアワープラネットTVの人たちとremoTokyoの人たちに遭遇する。こんにちは。そこで、彼・彼女たちの話し合いに耳を傾けるのもいいだろうし、公園で遊んでいてもいい。自由時間。それから、公園を離れ…

現代美術の実践が「社会参加」「制度批評(Institutional Critique)」「関係性の美学」といったコンセプトと連動し、アートと市民運動の恊働が模索され長い時間が経過した。クリエイティブな行為自体が孕む政治性と、政治自体が孕むクリエイティブとが衝突する宮下公園でのアート活動は、その意味で現代美術の伝統を引き継いでいる。一方で、レジデンスの存在が、行政と関連企業が進める公園改修工事を実質的に…

アートと映像 – 公共性をめぐって
【日時】2010年4月10日(土)・11日(日)
【会場】水戸芸術館現代美術ギャラリー
【定員】各日80名(先着順・予約不要)
【企画】竹久 侑(水戸芸術館現代美術センター学芸員)
http://www.reflection-alternatives.jp/events/

『プレカリアートの詩』記号資本主義の精神病理学
【スピーカー】 粉川哲夫(批評家)x 藤井光
【著者】フランコ・ベラルディ(ビフォ) 著
【訳者】櫻田和也
【詳細】http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309245010
【日時】3月14日(日)
【開場】18:00 スタート18:30
【場所】素人の乱12号店

「映画を作るとき、わたしは、いつも何かに復讐する、報復するという感情を持っています」。映画監督ペドロ・コスタは蓮見重彦との対談で、「私が撮っているものは裁判ではなく、価値判断を下すことではない」と断りながらも、「今の世界が正しくない、うまくいっていないということを語らねばならない」、その世界に対し「詩的なやり方で報復する」と言っている。現代の危機に対し、仕返しの概念を創り出していく…

POINT展
【会期】2010年1月9日~24日
【会場】京都芸術センター
【展示作家】アン・カンヒョン、アン・ドゥジン、ムン・ソンシク、橋本聡、藤井光、松原慈【批評家】 ソ・ジンソク、畠中実、キム・ミジン、住友文彦、ユ・ジンサン、原久子

プロダクトからプロセスへと美学的実践を拡張させたフルクサスと、芸術と技術の前衛グループE.A.Tの美学は、東京・国立市の市民に受け継がれ、市民が主体的に制作した映像表現が市民の意見として行政にフィードバッ
クされる(国立ビデオひろば/1978年-1993年)。2009年には「横浜国際映像際」のラボスペースで民衆による民衆のためのメディアが可視化され、「今後のICT分野における国民の権利保障等の在り方を考えるフォーラム」で

大阪に拠点を持つremoが東京にてremo*TOKYOを始動させています。その 第二弾として、remoが考案したremoscopeを、米海軍基地を始め、三笠公 園やドブ板通りなどで有名な横須賀を舞台に行います。remoscopeとは、remoが考案したリュミエール・ルール(固定カメラ/無音/無加工/無編集/ズーム無し/最長1分)に則り撮影された映像を総称する造語です。このワークショップでは、特別な技術はまったく必要ありません。

メディアと芸術は一部の人々に独占されてきた歴史がある。特に社会の中で不可視化、周縁化されている人々にとってそれは生活から遊離したものと考えられてきた。しかし、長年のメディアと芸術の民主化運動により、現在では生存のため
の不可欠な要素となった。ここでは世界中のさまざまな路上からの表現の現在を紹介しつつ、誰もが表現者となる時代をイメージする。